【対談】フランス映画×女性映画を矢田部吉彦さんと語る [フランス映画]
フランス映画ならこの人という矢田部吉彦さんをお迎えして、女性が主人公の最新作2作を中心に、移民映画、女性映画の定義、フランス映画業界のホモソーシャル性、インターセクショナリティなど盛沢山です。
扱う映画は『シモーヌ フランスに最も愛された政治家』『サントメール ある被告』『燃ゆる女の肖像』『アデル、ブルーは熱い色』など
https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/simone-interview-movie-202307
放浪する女性たち~アニエス・ヴァルダ『冬の旅』を中心に [フランス映画]
ケリー・ライカートの諸作品、『ノマドランド』、『夜明けまでバス停で』他、ホームレス女性を描いた作品を比較しながら『冬の旅』の特異性を論じています。
https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/fuyunotabi-movie-review-202303
『あのこと』 [フランス映画]
連載「#Me Too以降の女性映画」、第3回目は昨年10月にノーベル賞を受賞したアニー・エルノーの映画化作品『あのこと』を取り上げ、リプロダクティヴ・ヘルス/ライツの問題とアニー・エルノーの世界について論じています。
https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/anokoto-movie-review-202302
『フィルムメーカーズ21 ジャン=リュック・ゴダール』 [フランス映画]
『エール!』 [フランス映画]
『奇跡のひと マリーとマルグリット』 [フランス映画]
『奇跡のひと マリーとマルグリット』は6/6(土)からシネスイッチ銀座ほかロードショー。
シスタースマイル ドミニクの歌 [フランス映画]
いよいよ『キングス&クイーン』 [フランス映画]
イメージフォーラムフェスティバルの会場で『キングス&クイーン』のチラシを見かける。ドゥヴォスが前面に出ているチラシで瞬間、「なんでアルマリックじゃないのー」と思ってしまう。ドゥヴォスは日本で人気があるのだろうか? 彼女は動いている方が数倍いい女優さんであまりチラシのドゥヴォスは可愛くないような気もする。でも男性の目はまた違うらしいからなぁ。
ということで、公式サイトhttp://www.kingsqueen.com/がほぼ完成したようで、1月28日に日仏学院で上映された際に行われたデプレシャン、稲川方人、樋口泰人によるトークが読める。映画を観る前だったのでわざと同時通訳の届かない席に座り、「ヒッチコック」などという単語にだけ反応し勝手に想像を膨らませていたのだったが、予想にたがわずデプレシャンのトークはとても面白い。
「12歳の時に観たのはヒッチコックです。恐ろしいと思ったのと同時に魅了されていました。女性たちがこんなに弱いのは残念だと思いました。女性の主人公がです。最悪のことに直面できないのがおかしいと思ったのです。しかし男性の登場人物たちはすごく恐ろしいものに直面をします。」
この後語られるとおり、デプレシャンはヒッチコックの映画と反対のキャラクターを作る。女の子は最悪の出来事に直面しても泣き言も言わず、男の子はたいして恐ろしい出来事が起きたこともないのにいつも不平を言っている。男女の役割の反転が何よりもこの映画を冒険的でワクワクするものにしていると思う。このように優れた映画作家は過去の映画作家を乗り越えていくものなのだろう。私が以前過去の映画作家を当てはめて「これは○○だ」などということの愚かさ、はしたなさと書いたのはそうやって映画作家が前を向いているのに批評家だけが後ろを向いて喋っても仕方がないだろう、という意味だ。
あともう一点は二つのストーリー、二つのジャンルの話。デプレシャンは悲劇と喜劇が同居することに躊躇する俳優たちに、「徹底的にやれ。そうすればふたつの別々の映画が何らかの形で結びつくだろう」と言ったそうだ。そして「それは賭けだった」と述べる。ちょうどウィラーセタクンの話が昨日出たので無理やり結びつけると、ウィラーセタクンの『トロピカル・マラディ』もたいして関係のない二つの話(こちらはジャンルというよりはトーンがかなり違う)が同居する不思議な映画だった。しかしその二つのストーリー、ジャンルの間の分断が、どうしても空いてしまう隙間が、観客により豊かなものを提供しているのではないだろうか。
私自身「二つのストーリー」というものにずっととりつかれているようだ。コインの表と裏のように、それぞれがそれぞれを照らし出し、より深い次元に、行けるような「二つのストーリー」。
とにもかくにも『キングス&クイーン』、イメージフォーラムで6月中旬より公開だそうです。前売りもそろそろ出回るのではないでしょうか。
キングス&クイーンふたたび [フランス映画]
吉田喜重特集に通いつめたのがいけなかったのか、風邪を引いたり、ぶり返したり、引越ししなきゃいけなかったりで全く映画を観る暇がないのですが、boid.netで樋口泰人さんが『キングス&クイーン』の公開が6月に決まったことと、公開・宣伝の諸経費に関する経済的困窮について書いていらっしゃるhttp://boid.pobox.ne.jp/contents/diary/boiddiary/boid2006_01.htmから、というわけでもないのですが、何の役にも立たないかもしれませんが、もうちょっと『キングス&クイーン』について書いてみます。
デプレシャンファンの人は当然観にいくからいいとして、デプレシャンと聞いて「ああ、オシャレなフランス映画って感じだよね。ま、いいんじゃん?」みたいな人(って誰さ(笑))にこそ観てほしいなぁと思っています。何故なら、私自身デプレシャン監督の作品で初めて観た『魂を救え!』で「こりゃすごい才能だ」と思ったものの、それ以降のデプレシャン作品にはさほど感心も共感もしてこなかったという事実があるからです。勿論、『二十歳の死』も『そして僕は恋をする』も『エスター・カーン めざめの時』も、悪い映画ではありません。ただ特に突出したものは感じなかったのです。このへん、きちんと言語化するには再見しないと無理なんですが。
そんな私が『キングス&クイーン』を観て感じたのは、何よりも「ああ、この人こういうのがやりたかったんだ」、「大器って本当に晩成するのね」というという深い納得でした。それだけじゃなんのことかわからないかもしれませんが、この映画については、自分なりにもう少しきちんとした形で書きたいと思っています。ただ、その場合前の時代の映画監督を持ってきてそれだけで何か言ったような気になることは避けたいと思っています。そもそも、影響を与えたであろう先行する監督の名前を言い連ねるのは、どこから来た伝統なのか私は詳しくは知りませんが、その後進の方の監督に、才能がないと言っていることとほとんど同じような気がします。いや、言っている人はズバリそういうことが言いたいのかもしれないんですけどね(笑)、その才能のなさは、そんなことしか見抜けない書き手の才能のなさに直接的に跳ね返ってくるような気がします、自戒を込めて言うんですが。
私の考える映画の豊かさとは、細胞のように、分裂し、増殖し、その映画を観た一人ひとりの観客の中でも育っていくようなものです。そんな映画は実は稀なんですが、そんな映画に出遭ってしまったとき、「あれは○○だ」などと呟くことの愚かさを、身を持って知るのではないでしょうか。そう批判したからといって、私がその豊かさを言語化できるとは限らないのですが、その愚かさ、はしたなさだけは、きちんと覚えておきたいような気がします。
とりあえず、『キングス&クイーン』観ようね!!
『キングス&クイーン』再見 [フランス映画]
やっとリージョンフリーのDVDプレイヤーが来たので、アサイヤスの『CREAN』を見直した後、『キングス&クイーン』を再見する。やはり素晴らしいが、続けて観ると『CREAN』との共通点がおのずと際立ってくる。30代中盤の女性が主人公、小さい男の子がいて、その父親は死んでいない、など誰でも気付きそうなことばかり(笑)だけど。
観ているうちにやっぱり今年のベスト1既に決まったかも・・と思ってきて、2年続けてそれはいくらなんでも日仏学院に依存しすぎでしょ、所詮フランスかぶれって言われるよ、などと自分で突っ込みつつ、いいものはいいのだから仕方がない。
ノラ(エマニアル・ドゥヴォス)のモノローグも素晴らしいが、イスマエル(マチュー・アルマリック)の機関銃のようにまくし立てるセリフ、ああやはりフランス語って色気のある言語だよなぁ・・などとうっとりしてしまう。
メロドラマという言葉で片付けてしまうには、マギー・チャンもドゥヴォスも自己犠牲には甘んじない、むしろ「クリーン」ではない女性を演じているのだが、そこがリアリティがあっていいのだろう。これこそが新しい女性の描き方なのかも、などと少し思う。しかし「新しい女性の描き方」なんて言葉自体は胡散臭いし、例えば日本映画で「これぞ新しい女性の描き方」などというキャッチコピーがついていたら、きっと「どうせ腹の立つものなのだろう」などと偏見を持ってしまうのだけれど・・。