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映画批評家と映画研究者 [書評]

めぐりめぐって加藤幹郎氏が編集委員を務めるCineMagagine!no.9http://www.cmn.hs.h.kyoto-u.ac.jp/CMN9/index2005.htmlが発行されているのを発見。その中の「映画批評家の仕事」のなかの冒頭の一文「センスのない学者と学識のない批評家。これは世の習いである。」というのに爆笑。笑うところじゃないかもしれないけど、でもなかなかはっきりとは言いづらいこういうことを書いてくれるから加藤氏って大好き。
学識のない批評家・・。しかし映画批評家は本当に喰えないと思うので、他の仕事をしていたりしたら本を読む暇などなかなかないので私は同情的である。センスのない学者・・。センスと言ってしまうと生まれつきのもののように誤解されるかもしれないが、「今を生きている感覚」みたいなものがない人は確かにちょっとどうかなぁと思う。昔の映画監督をいくら研究しようとそれ自体は素晴らしいことだと思いますが、今の日本の社会情勢や世界情勢と全く隔絶したままで(研究が)終わってしまうんであればそれはちょっと・・。研究者も自分で学費や生活費を捻出しているような人は新聞や週刊誌など買う余裕もない人もいるんでしょうか。・・とするとなんだか「貧しさが全ての元凶」みたいな話になってきてしまいますが・・。「基金」を作るのが解決策? 
加藤氏は「学者は学会をついの住処にみずからの学識を臨界状態へもってゆく術を知らぬまま息絶え、批評家(クリティック)は学識のなさゆえに知に臨界(クリティカル)状態をむかえさせる歓(よろこ)びを知らぬまま朽ち果てる。そのような事態が世の習いなら、これは改革時である。」と文を結んでいる。私が言っても全然重みがないと思うけど全く同感です。
本文中に出てくる加藤氏の新刊映画論集「映画の論理―新しい映画史のために」(みすず書房)をまだ読んでないことに気付く。なんだかよく分からないけど少し慌てる。そろそろ本屋に行かなくっちゃ。
ところで、加藤氏が批判している梅本洋一氏の書評が、どこに掲載されていたものなのか知っている人がいたら教えてくれませんか。

映画の論理―新しい映画史のために

映画の論理―新しい映画史のために

  • 作者: 加藤 幹郎
  • 出版社/メーカー: みすず書房
  • 発売日: 2005/02
  • メディア: 単行本


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コメント 4

一風斎

はじめまして、一風斎と申します。
小生、本日ブログにて映画批評に関して1文を上げたところでした。
たまたま、こちらのブログで映画批評についての記事がありましたので、
トラック・バックいたしました。
>センスのない学者と学識のない批評家
のくだりは、まさしくそのとおり。
小生の記事、冒頭の北野某なる学者さんも、その例外ではないようです。
それでは、お前はどうなんだ、と言われると……(笑)。
ともかくも、貴ブログ興味深く拝見しました。
お時間があれば、小生の記事もご覧ください。
では、また。
by 一風斎 (2005-09-25 16:26) 

miyukinatsu

はじめまして。記事拝見しました。「前衛的映画解釈理論」というのが、『日本映画はアメリカでどう観られてきたか』という本で解説されている理論なのですか? 聞いたことないし面白そうなので読みたくなってしまいました(面白くないようですけど(笑))。
ただ確かに一風斎さんのおっしゃるように、映画批評は映画批評ならではの方法論がまだまだ乏しいと、私も思います。
まだ生誕100年だし、などというのも言い訳ですかねぇ。人間だったらそろそろ寿命だし(笑)。
個人的には映画には存在し文学には存在しない音楽がキイなのではなどと考えたりする時があるのですが、音楽批評もそんなにヒドイのですか?
音楽批評や音楽理論は詳しくないので、面白い人がいたら教えてください。
ではまた。
by miyukinatsu (2005-09-25 19:45) 

一風斎

>miyukinatsuさま
ご返事ありがとうございました、ブログを見ていただいたことにも感謝。
さて、ご返事への解答として、また昨日の記事の続きを書いてしまいました。
その中で、
>音楽批評や音楽理論は詳しくないので、面白い人がいたら教えてください。
へも一部お答えできたかと思います。
ただ、
>映画には存在し文学には存在しない音楽がキイなのでは
とのご発言が、今一つ分らないので、見当違いになったかもしれません。
今後、貴ブログにて、詳しいご説明を期待します。
では、また。
by 一風斎 (2005-09-26 09:27) 

miyukinatsu

一風斎様、ありがとうごさいます。
>映画には存在し文学には存在しない音楽がキイなのでは
というのは、確かに漠然としていてわかりにくいですね。
今少し長めのものを書いていて、基本的にはその中で展開していくことになると思うのですが、なるべくblogにも書いていくようにします。
記事中の、
>つまり、映画とは逆に、通時的に捉えがちで、共時的な見方ができにくいということだ。
というのも、「学識のない批評家」が多いからだろう。
お決まりの「音楽史」に則って発言することは、たやすい。
けれども、共時的な見方をするためには、理論の裏づけなり、オリジナリティが必要になってくる。そこで物を言うのが「学識」。
という部分には、共感。
民族性や民族の歴史を理解するのには音楽も映画に劣らず
非常に優れたメディアですよね。
他のメディアにも届く広い視点で系統立った理論を展開できる方がいたら、
ぜひ私もちゃんと勉強したいと考えています。
これからもどうぞ宜しく。
by miyukinatsu (2005-09-26 19:55) 

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