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吉田喜重特集/ポレポレ東中野 [邦画]

一昨年の9月以来の、吉田喜重監督の劇場長編全作品上映。一年半も経たないうちに、また吉田監督の作品をスクリーンで楽しめるなんて、東京の映画状況も本当に捨てたものではない。前回http://www014.upp.so-net.ne.jp/miyukinatsu/essay19.htmlに書いた通り、吉田作品はある程度時間が経てば何度でも、エンドレスに楽しめる夢のような映画なのだが、さすがに一年ちょっとしか経っていないので今回は未見の作品を中心に観ることに。
2/1、『さらば夏の光』。いつもと同じ女、表面的にはとても美しく、中身はよくわからない女。スクリーンに映し出される建築物と一柳彗の音楽の美しさ。モン・サン・ミッシェルでのシーンになって、モン・サン・ミッシェルの中の独特の雰囲気を思い出す。映画は中にまでは入らない。あくまでも表層的に、その城を、アイコンを、なぞるだけ。なぞられているのは、他でもない自分だ。その感覚が気持ちよく麻痺してきたところで、映画は終わってしまう。劇場の外に出たら吉田監督と岡田茉莉子さんが座っていてこちらを見ている。そこだけ映画と同じ空気が漂っている。映画と地続きの空間に驚きながら、ゆっくりと地上への階段を上る。
2/4、『女のみづうみ』。女が戯れに撮らせたヌード写真が、女の意に反して、最初盗まれ、写真屋の親父に焼き増しされていくところが、とてもエロティックだ。複製されていく裸。或いは加害者との情愛。川端康成の原作「みづうみ」を読んでみたくなる。
『樹氷のよろめき』。岡田茉莉子はいつも通りなのだが、時折はさまれる単調でメロドラマティックな音楽が気になる。あまり明確な必然性がなく、女と恋人と女の昔の恋人の三人が雪山へと転がっていく話もかなりヘン。しかし青山真治監督と吉田監督のトークになり、ほぼ謎は解ける。吉田監督はこの映画に音楽をつけたくなかったそうで、しかしそれがかなわなかったため、同じような音楽をつけたとのこと。音楽がついていなかったら確かに、アントニオーニ的な白々とした空虚が、際立ったのではと思い少し残念。
トークは父権社会においての女性の描かれ方(常に「見られる対象」としての女性。青山監督はそれ以外の女性の描かれ方はないかと考えていた時に出会ったのが『水で書かれた物語』からの四作品だったそう)、映画において「動くこと」(吉田監督は『樹氷のよろめき』と『Helpless』の共通点を「動くこと」と語る)、映画で暴力を描くこと(吉田監督も『日本脱出』等で暴力を描いている)など多岐に渡り、とても興味深かった。監督同士のトークはわりと珍しいのではないかと思うのだがかなり刺激的だった(ま、青山監督だからかもしれないけど)。岡田茉莉子さんが出ている『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』も早く観に行かなくちゃ。
2/5、『情炎』。社長夫人の岡田茉莉子も、社長の妹が何人かの男とダンスするシーンも、肉体労働者風の男も、何故か既視感があって、今帰ってきて資料を漁ってみたらどうも1997年のパリのポンピドゥーセンターの日本映画特集の時に観たらしい(苦笑)。しかしそれがマイナスになることがないくらい強度の高い作品。それに、肉体労働者風の男はよく覚えているのに、主人公の現実の男である夫と、彫刻家の男についてはあまり記憶がないのも不思議だ。主人公の欲望や、それが顕れた昼中夢のようなシーンの方が明らかに印象が強いのだ。そのへんが吉田監督の映画が何度でも鑑賞に耐え得る秘密なのかもしれない。
トークは岡田茉莉子さんと斉藤綾子さん。岡田茉莉子さんの「自分で言うのも何なんですけど、こんなに綺麗に撮ってもらって、とても好きな作品です」という言葉に、演じた本人さえスクリーンの中ではまるで自分ではないように観るんだなぁ、という考えてみれば当たり前のことが分かって興味深い。この特集に通うような人はシネフィルが多いと思うので、撮影技法や映画論的な話は少なく物足りなさを覚えた人もいるかもしれないが、斉藤先生は一ファンのふりをしてかなり女優の肉声というか本音に迫れたのではないかと思う。この映画で描かれているレイプ願望に対して抵抗を感じるような岡田さんが主人公を演じたからこそ、複雑なキャラクターになったという意見には確かにそうかもしれないと思う。
もうちょっと通う予定。しかし、本当にエンドレスに続けばいいのに・・。


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