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エリ・エリ・レマ・サバクタニ/青山真治(2006.02.11) [邦画]

少し懸念はあったのだがやはりあまり私向きの映画ではなかった。映画に入ったのはゴダールがきっかけのくせに、最近のゴダールにさえほとんど興味が持てない私は「映像」と「音楽」が凄い、と言われる類(と片付けてしまうのも乱暴だが)の映画は苦手な部類に属する。そもそも音楽の良さに対して言葉を連ねるほど虚しいものはないのではないかと常々思っていたりするもするし。冒頭のガスマスクをつけた二人が歩いてくるショット、クライマックスの「爆音」のシーンなど、鳥肌が立ちっぱなしだったのは別にテアトル新宿の空調のせいでもないだろう。だがその鳥肌が気持ちよい鳥肌ではなく、なんとなく自然ではない印象を受けた。実像のない機械的な鳥肌、みたいな。
青山監督は吉田喜重監督との対談http://blog.so-net.ne.jp/miyukinatsu/2006-02-05で、吉田監督の『水で書かれた物語』『女のみづうみ』『情炎』『樹氷のよろめき』など岡田茉莉子主演の諸作品を観て衝撃を受け、「父権社会において女性が描かれる時の、「見られる対象としての女性」以外の女性の描かれ方はないのかと思っていた答えがここにあったと思った」というような主旨のことを述べているが、それらの衝撃が何故作品に反映されていないのだろうか。少女と老女と自殺してしまう女しか出てこないことが青山監督の「新しい女性の描き方」だということなのだろうか。テーマが違うと言われてしまえばそれまでですが、対談からわりと間があかず観たせいかそのへんを物足りなく感じたのが一つ。
あとやはり『ユリイカ』の時にも思ったのだがこの監督の弱点である脚本と俳優の弱さが出てしまっている映画だと思う。例えば先程述べた吉田監督の四作品を例に取ってみると、脚本家の意図を裏切る監督の演出、監督の意図を裏切る女優の肉体、それさえも裏切る映画そのものの意図(最後は少し文学的すぎる表現ですが)が反復の中にずれとして現れる重層的な快楽が存在するが、それらと『エリ・エリ・・』とは程遠い。それは自分で脚本を書き、友人や自分の気に入った女優などリスクの少ない俳優を使っている限り現れないものではないかと思う。監督自身がトークや批評などで垣間見せる映画的教養の確かさに感心するにつけ、そのことを分かっていないはずはないのにといつも不思議に思う。ま、私はわりと脚本と俳優で観る人なので(そういえばデプレシャンの『キングス&クイーン』もその二つが突出していた)、どう転んでもそんな見方しかできないですね。
映画とは直接関係ないですがそろそろ出回っているブログ等での反応もこの作品は面白いです。私もお邪魔させて頂いたことがあるhj3s-kzuさんのサイトでのやりとりhttp://d.hatena.ne.jp/hj3s-kzu/20060201も、ブログでのコメント合戦で良くあるような、お互いの土俵を一歩も出れないまま主張だけぶつけ合うような不毛なもの(罵詈雑言の応酬よりは余程マシだし、それはそれで面白かったりはするのですが私はやりたくありません、私はコミュニケーションに夢を持っているので(笑))になっていず面白かったです。抽象的な概念ではなく、具体的な作品が議題になっているせいなのと、あと青山監督の作品自体がそのような議論を起こしたくなる問題提議的な、かつ誠実な作りである証拠ではないでしょうか。真似して私の好きな青山監督作品を述べると、『Helpless』『チンピラ』『シェイディー・グローブ』など初期の作品が多いです。『月の砂漠』は小説の方が面白いと思いました。シネフィルの踏み絵?というわけでもないでしょうが『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』、みなさんも自分の目で耳で確かめてみてはいかがでしょうか。


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