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書くことの恐怖 [エッセイ]

遅れましたが、あけましておめでとうございます。今年も宜しくお願い致します。
私は一息つくといつもエッセイを書くが、エッセイといっても私の場合夫や子供のことではなく(勿論両方いないということもあるのだが)、かといってテレビや芸能や時事ネタというわけでもなく、「書くこと」について書くことが多い。
昔書いたものを読んでみると、「書くことは楽しい」と言っているものもあるのだが、えんえんと「書くことが怖い」としか言っていないようなものもあり、よく読むと「書くことは楽しい」と言ってるエッセイでも、書くことへの恐怖感はひっそりと隅で息づいているような印象を受ける。
そう、書くことは怖い。それは今でも変わらない。ただ「怖い」理由の中で、一番高いパーセンテージを占めているのが「(たいしたものが)書けないかもしれない」不安なので、それは書く場数が増えることによって、だんだんと軽減していっている気がする。
例えば昨年の年始雑感で、「一日にどの位書けるのか、全然読めない」みたいなことを書いたが、これは大体予想がつくようになった。まぁ、一日何枚とノルマを決めて書くようなことはしないので、一週間とか一ヶ月単位でおおまかに予想するだけだけど。昔村上春樹に関して羨んでいた「自分がいつ頃小説を書くかと、大体のページ数が分かる」に近い、書きたいことに対して大体の枚数が想像できるようになったのが気がラクになってきた大きな要因だろう。「書けない」のは「自分の中で詰まっていない」か、「物理的に書く時間がない」のが主な理由なので、わけのわからない不安で苛立ち家族や友人に八つ当たりするようなこともなくなってきた。
書くことへの恐怖感の中で、二番目に高いパーセンテージを占めているのは、「書くことが前もって分からない」ことだ。そして、これはいまだに克服できない。というか、克服してはいけない気がする。前もって分かっていることを書いても自分が面白くないし、多分読む人も面白くないからである。
よく書くときに「何か」が「降りてくる」という比喩を使う人がいる。これもあながち間違ってはいないと思うのだが、私の場合「自分が地下室のようなところへ降りていく」というイメージの方が強い。「どこかわからない暗い場所」なのだ、そこは。階段につまずきそうになるし、視界が利かないし、何よりも「どこか分からない」のでとても怖いし、不安だ。何よりも、地下室といったら昔から邪悪なことが行われてきたと相場が決まっているし。私は、書くことによって、その闇の片隅を照らす柔らかな蝋燭の光を灯すだけだ。そこの一角だけ、視界が利くようになる。既にこの世にいない人、虐げられてきた人の、顔が見えたりする。でも意味は自分でもきっとよく分からない。
何度もその地下室に降りて、蝋燭を置いてくることによって、いつかはその地下室が全て繋がっていること、その全貌が、分かるのだという気がする。
きっと、そんなこと。ただそれだけのこと。


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