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キングス&クイーン/アルノー・デプレシャン(2006.01.28) 日仏学院 [フランス映画]

デプレシャン監督の新作は前々から評判が高く、私も昨年の香港映画祭上映時にそのためだけに行こうかという馬鹿なことを考えたほど。今日も監督のトークショーがあるということで混雑を予想し整理券配布開始の10時前に着くようにする。しかし既にかなりの行列。当初の予定の3時の回は列の半分位で売り切れてしまい、7時半からの追加上映で観ることに。昨年のアサイヤスの時は10時過ぎてても券買えたんだから、アサイヤス監督よりデプレシャン監督の方が人気があるということ? 
時間をつぶすために新宿に戻り『スタンド・アップ』を観ようとするが昨日で上映が終わってしまったということ。人が入らなかったのだろうか(※新宿以外ではまだやってます)。『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』を観ようとするが初日で監督たちの舞台挨拶があるらしく既に立ち見とのこと。あきらめて『フライト・プラン』を観る。「現代の『バルカン超特急』」と言われているらしいが、さほど期待もせずに観たのだが、これが意外と面白かった。確かにまんま『バルカン超特急』のシーンがあるが、ヒッチコックは母親の子供への愛情をこんなにストレートに肯定的に書くことはなかったので、あまり類似は感じられない。中盤種明かしされかけたところで、「もしかして『フォーガットン』の二の舞・・?」と危惧を抱くが、そこから盛り返した。人物消失の謎よりも映画としてのオーソドックスな面白さに戻ったということで、特に映画的に目新しさはないのだが。しかしラストはさすがにカタルシスがある。最近ジョディ・フォスターが役柄や演技の幅がなくなっているのではないかということが少し気になる。
日仏に戻ると、3時の上映の後に予定されている監督のトークショー(お相手は恒例の樋口泰人氏、稲川方人氏)が会場外でも聞けるのとのこと。しかし映画を観る前に批評を読んだりするのが嫌い(先入観を持って観たくない)なので、ちょっと聞いただけで席を立ってしまう。立ち際、「ヒッチコックの窓みたいにしたかった・・」と監督が言っているのが聞こえる。ここでもヒッチコックか。
やっと映画上映開始。映画はエマニュエル・ドゥヴォスのモノローグから引き込まれる。ドゥヴォスとマチュー・アルマリックというだけで、『そして僕は恋をする』を想起するのだが、ドゥヴォスのエピソードに悲劇性があり、アルマリックのエピソードに喜劇性があり、その二つが融合していくこの映画はコミカルでありながら切実な、まさに「人生のような」フィルムになっている。『そして僕は恋をする』からの成熟が窺えるし、多分デプレシャン監督の最高傑作でしょう。
初秋には日本公開が決まっているとのことだが、一時間も行列して九時間半も待たされたのが損したと思わないのは、この後に日仏学院で控えている「人生は小説=物語である アルノー・デプレシャンによる特別セレクション」のせい。エドワード・ヤンの『ヤンヤン/夏の思い出』やマックス・オフュルスの『歴史は女で作られる』、アラン・レネの『プロビデンス』などデプレシャン監督が選んだ全17本が上映される。この映画を観た後では、新たな目で再見し、デプレシャン監督の世界にもう一歩近付くことができるだろう。
帰りは幸せな気分な帰宅。いい映画を観ると、傷ついた心が癒され、生きていく気力が湧くのは何故なのだろう。世の中には映画など必要としない人もいるのに、私はとりあえず観ないと駄目そうだな、などととりとめもなく考える。


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嗚呼!ジャンヌ・モロー(2005.07.08) [フランス映画]

夏風邪が抜けずグズグズと自宅でレポートと格闘していると、BSで「アクターズ・スタジオ・インタビュー」にジャンヌ・モローが出るというので観る。女優がこのシリーズに出たのは確かジュリア・ロバーツとシャロン・ストーンしか観たことないのだが、年を取ってしまった女優さんを観るのはやはり若い頃が綺麗であればあるほどやはり物悲しいものがある・・。特にシャロン・ストーンなんて老けてしまったというよりは、最盛期のオーラみたいなものがなくて物寂しい気がしたものだ・・実際に老けたとか皺ができたというよりも、本人の心持ちの問題なのかもしれないなぁ、などとぐちゃぐちゃと考えていると、早速モローが登場。うわっ、とびっくりする。美しい。全然衰えた印象がない。カトリーヌ・ドヌーブのように不自然なほど皺がないというわけではなく、適度に皺もあるし、以前ほど体型も細くはないのに。何が理由なのだろうと観察したところ、髪形が年寄りじみていなくて華やかなのと、時折見せる笑顔が煌びやかな印象を作っていることを発見する。そして何よりも目の光。彼女の知性と因習を打ち破る強い意志が現れた強い目の光、それは若い頃と全く変わらない。
 それは勿論話ぶりにも現れていて、インタビュアーのセクハラまがいの突っ込み(モローの反応を見たいがための意図的なものだろうけれど)にも怯むことなくしかもユーモアをもって切り返していくところはさすが。こんなに知性的で強かったら結婚生活なんて続かないよ、なんて余計なことを考えてしまう。今回のインタビューではトリュフォーやルイ・マルなど若い頃に出演した監督たちの話というよりは(ロージーの話なんて聞きたかったものだが)、インタビューが行われた当時公開が近かった『デュラス 愛の最終章』についての話がメインで、印象的だった。『デュラス 愛の最終章』はモローがヤン・アンドレアの「M.D」を読んで映画化したいと思ったということ。役作りに関しては実際のデュラスというよりも、本の中のデュラスの世界を体現するように演じたということ。とても納得がいった。デュラスの本の世界がよく現れていると思ったのだ。そして、でも同時にこの老女はデュラスではないと思った。ジャンヌ・モローだ。アルコール中毒にならざるを得なかった脆弱性があの映画のデュラスにはほとんど感じられなかった。あくまでジャンヌ・モローの演じるデュラスになったこと。それはあの映画にとっては欠点だったかもしれない。しかしジャンヌ・モローという女優はそもそもそんな女優だったのかもしれない。どんな役柄でも「ジャンヌ・モローの演じる・・」と枕詞がついてしまうこと。だからこそ彼女の演じる女は、あんなにもスクリーンで煌きを放っていたのかもしれない。
 結婚生活は続かないかも知れないが、年を取ってもこんなにも美しくいられるのなら、知性的で強いのも悪いことではないのかもしれない・・。デュラスの本を枕元に置いて、少し孤独かもしれないけれど、年老いても自然体で、仕事に関わって・・。あーなんだかパリに行きたくなってきちゃったな。

マルグリット・デュラス―閉ざされた扉

マルグリット・デュラス―閉ざされた扉

  • 作者: ヤン アンドレア
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 1993/05
  • メディア: 単行本


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