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女はファーストフードとスローフード、どちらを欲望するか? [書評]

内田樹氏の「街場のアメリカ論」を読んだ後、つねづね氏がフェミニズムに関して書いていることへの違和感を解消するため「女は何を欲望するか?」も読む。私は「映画の構造分析」を読んでから、氏のユーモアのセンスと事象の把握の仕方のワイルドさ、レンジの広さに関し好意的であったのだが、この二冊はその点では期待外れだ。
「街場のアメリカ論」は概ねは面白く、相変わらずの内田節が堪能できる。しかし私が首をかしげざるをえなかったのは「第2章 ジャンクで何か問題でも?-ジャンク・フード」である。一読して流してしまいそうになるのは内田氏がタイトルどおり「スローフードはムッソリーニのファシズム誕生の地、ピエモンテが生誕の地だ。実はフランスの反ジャンクフード運動も極右の国民戦線とその支持層がからんでいる。「ドイツの伝統的食文化を守る」という運動はヒットラー・ユーゲントの自然回帰運動に流れ込んだ」というような具体的な事例を挙げて、「ジャンク・フードで何が悪い」ということを言っているだけなのだが、そこでいみじくも反ジャンクフード運動と一緒にフェミニズム運動が批判されている通り、続けて「女は何を欲望するのか?」を読むと、気になるところが出てくるのだ。
「女は何を欲望するか?」は氏が最後に述べている通り、内田氏の「フェミニズムに賛成で、反対」というアンビバレントな姿勢をよく表している書物であり、私の場合批判の対象となっているフェミニストにあまり思い入れがないということもあるのだろうが(主な矛先の対象はボーヴォワール、イリガライ、フェルマンなど)、思ったよりも全然腹は立たない。フェミニズムに関してあまり知識がない人は勉強になるかもしれない。ただ一読してなんとなく丸め込まれたような「?」という気分になるのは、内田氏のフェミニスト観それ自体に違和感を覚えてしまうところが大きいのだと思う。
例えば、内田氏はこのように書いている。「男性に伍してばりばり働き、なんらかの社会的アチーブメントを経験したいという女性の邪魔をする気はない。どうぞご自由にがんばってもらいたい。けれども、あなたが必死になって求めている権力や地位や名声やお金には、一人の人間が命がけになるほどの価値がないということは言っておきたいのである。それとは「別の」たいせつなものが世の中にはたくさんある。それこそ無数にある。そして、社会システムがバランスよく、気分よく運転するためには、できるだけみんなの欲望の対象がばらけている方がほんとうはよいのだ」
一読すると流してしまいそうになるのは、それほどはおかしいことが書かれていないからだろう。しかし、ちょっと待てよ。なんで女性が学や安定したやりがいのある職を得るため、自己実現するために頑張ること、権利主張することが、「男性に伍してばりばり働き」、「必死になって権力や地位や名声やお金を求めている」などという言葉で表されなければいけないのであろう。フェミニストは権力や地位や名声やお金を求めて講演したり、本を書いたりしているのだろうか。そもそも男性自身、権力や地位や名声やお金を求めて仕事してるのだろうか。肝心の内田氏は? あなたはこの「「女は何を欲望するのか?」という本を、地位や名声やお金を求めて書いたんでしょうか。
そもそも私は内田氏のブログhttp://blog.tatsuru.com/archives/001073.phpで、内田氏が「ダメだよ、こんな論文、こんなものに学位は出せん」と言う代わりに、「早く結婚した方がいいぜ」と言う時がある(内田氏はそれをセクハラと言われても困るという文脈でその話を出している)と書いているのを読んだ時から、何か納得できないものを感じていたのである。「こんな論文ダメだよ」と言われる代わりに「早く結婚した方がいいぜ」などと言われないために、フェミニスト諸氏は頑張ってきたのではないかという疑問がフツフツと湧いてきて止まらなくなってしまったのである。
私の違和感はこの本において「権力や地位や名声やお金を重視する資本主義に沿った生き方」と、「それとは別の大切なものを大事にする生き方」と、二つしか選択肢が提示されないことだ。それって、まんま「ファーストフード」と「スローフード」だよね。内田氏は「第2章 ジャンクで何か問題でも?-ジャンク・フード」でも「私自身は「スローフードもよし、ファーストフードもよし」というどっちつかず寛容なスタンスを採用することにしています。どっちも美味しいし」などと締めくくっているのですが、でも食べ物の分け方ってその二つしかないの? 例えば私が今日作った鶏肉のバルサミコソース炒めはどっちに入るの。Iに作ってあげると約束したタコライスは? 「ファーストフード」と「スローフード」だけの食生活なんて、私には耐えられそうもない。その二つしか選択肢が与えられないなんて、単純すぎるし味気なさすぎる。
氏は「女は何を欲望するか?」の後半を費やした「エイリアン」分析を締めくくるに当たって、映画についてこのように語る。「「コレクトネス」を求める人々が映画をいくら統御しようと試みても、その勝負は必ず映画の勝利に終わるだろう。(中略)映画はひとつのメッセージを言語的に語りながら、それと矛盾するメッセージを非言語的に発信することのできる理想的な詐術の装置である。このような映画のあり方はたしかに「正しく」はない。私たちはそれに同意する。けれども映画は「正しい」思想よりもしばしば「広く」「深い」。私たちはこの「映画の狡知」を愛する。おそらくもそこに「世界の基底」に通じる隘路を見出すからである」
この映画についての愛に溢れた文章を読んでやはり疑問に思ってしまうのは、映画に可能なことが何故文章ではできないのだろうかということだ。「ファーストフード」と「スローフード」両方の、或いは中庸の魅力を同時に提示し、読者に味あわせること。「フェミニスト」及び「フェミズム運動」について、男性の立場からではなく、中立的・中性的な立ち位置から新たな側面を発見するために語ること。「権力や地位や名声やお金以外の大切なもの」を、傍流としてではなく、読者が本当に大切なものと感じられるように、言葉を尽くして語ること。
それは決して、「男性に伍して」「権力や地位や名声やお金を求めて」やるようなものではないはずだし、女性でも、男性でも、その気になればできるはずのことだと思う。

街場のアメリカ論    NTT出版ライブラリーレゾナント017

街場のアメリカ論 NTT出版ライブラリーレゾナント017

  • 作者: 内田 樹
  • 出版社/メーカー: NTT出版
  • 発売日: 2005/10/13
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


女は何を欲望するか?

女は何を欲望するか?

  • 作者: 内田 樹
  • 出版社/メーカー: 径書房
  • 発売日: 2002/11
  • メディア: 単行本


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