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小説版「ゆれる」 [書評]

西川美和の映画「ゆれる」には非常に感銘を受けたもののその小説版については、存在は知っていたものの映画のノベライズという印象がどうしても拭えず、買ってまで読む気はせずそのままになっていた。しかし映画祭の合間にできた時間を利用して手に取り、読み始めたものの引き込まれてしまいついに購入し、帰りの電車の中で読みきってしまった。
映画とストーリーが違っているわけではない。猛、稔、智恵子、勇、修、洋平と各登場人物がそれぞれの視点で、言葉で語りだすことによって、映画では省略されているディティールや各々の気持ちが深く理解できるようになっているだけだ。映画を観てから読むと登場人物の顔を浮かべながら読むことができ、もう一度映画で味わったのとほぼ同質なラストの感動を味わえるようになっている。
・・とここまで読むとあまり褒めているように聞こえないかもしれないが、一つだけ非常に映画と印象が違うものがあり、そこに私は引っ掛かり、そして惹かれた。それは猛のキャラクターに関してのものだ。西川監督がこの小説を書いたのが映画を撮った後であったというのは、雑誌の記事で読んだ曖昧な記憶で確かではないのだが、そうだとしたらその印象の差異というのは突出している。
映画での猛はとてもイマ風の若者でイケているものの、軽そうで写真集を何冊も出した「腕のいい評価されているカメラマン」にはあまり見えない。小説で「腕のいい評価されているカメラマン」という描写がされているわけではないが、映画ほど軽い男の印象は受けない。どちらかというと一本気で、兄思いの性格に思える。そして裁判で兄を実刑に追い込んでしまった後。小説では「もう俺のは写真じゃない」と猛ははっきりと言っている。「俺の目は、あれ以来も何もとらえることもしなくなった」と。しかし映画で私はそこまで猛にたいして落ちぶれた印象は持たなかった。髪の色を落とし、ラフな服装になった猛は多少うらぶれては見えたもののより「カメラマンらしく」見えた。地に足をついた生活をし、悲しみを乗り越えてもっといい写真を撮っているのかと思ってしまったほどだ。「写真」に関して印象は真逆になっている。兄を迎えに走らせている車の中で洋平は猛についての印象を「雨風にさらされて外壁がホロホロと朽ちた古い建物を連想させた」「この男が傷んでいくことを、誰も止められないのか」とまで言っているが、ここも私はそこまで猛が傷んでいる印象を持たなかった。せっぱつまっているものの、やはり猛は猛だ。たまたま見てしまった古い家族の映像によって、感傷と罪悪感と兄への愛情に駆られてはいるものの、野生の動物のような自分勝手さとエゴイストぶりが全く消えてしまっているわけではない。
そしてそこが『ゆれる』という映画の良さなんだろうなぁと思った。実力があったカメラマンが、兄を陥れたことによって落ちぶれるなんていうのは、やはり綺麗ごとすぎ、作りすぎであり、小説の中の出来事でしかない。実際は、兄を陥れたことによってさっぱりし逆に仕事が良くなったり、兄を迎えに行くという善意の行為の中にも結局は自分のためにやっているエゴイスティックさが見え隠れする。そのように人間は単純に割り切れない複雑なものであり、善悪の境をうろついているからこそ猛は映画の中であんなにも観客を惹きつけるのである。何度も引用するようだが優れた映画は「単純な正邪の彼岸に観る者を連れてゆく瞬間があり、人間の解らなさに向けて観る者の思考を開いてゆくところがある」(樋口尚文氏)。そして、猛は根っこのところは決して変わらないからこそラストがあんなにも心を打つのだと思う。
今述べたような差異がオダギリジョーという俳優の才能によるものなのか、それとも映画を撮るうちにそうなってしまったいわば必然的なものなのか判断がつきかねるが、コントロールしたがる監督(綿密な脚本を書く西川監督は明らかにこのタイプであろう)のコントロール外の部分が最も面白いというのは、ヒッチコック始めとする優れた映画作家の一つのタイプであることは確かで、そういえば違う視点によって繰り返される事件、嘘のフラッシュバック、裁判、兄弟(相似形)の確執、など、ヒッチコック的キーワードが『ゆれる』には満載であることに今更気づくのであった。
そういえば雑誌で西川監督が推薦していた本を私も推薦しておきます。「心臓を貫かれて」/マイケル・ギルモア著。『ゆれる』とテーマが重なるところがあると監督自身も述べています。壮絶な実話をもとにした本なのであまり気軽にコメントは書けないし、実は褒めていいのか迷うところもあるのですが、一読の価値はあります。

ゆれる

ゆれる

  • 作者: 西川 美和
  • 出版社/メーカー: ポプラ社
  • 発売日: 2006/06
  • メディア: 単行本


心臓を貫かれて〈上〉

心臓を貫かれて〈上〉

  • 作者: マイケル ギルモア
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 1999/10
  • メディア: 文庫


心臓を貫かれて〈下〉

心臓を貫かれて〈下〉

  • 作者: マイケル ギルモア
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 1999/10
  • メディア: 文庫


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