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フィルム・ノワールとロラン・バルト [エッセイ]

やっとヒッチコック終わる。締切りなのでいったん終わらせるものの、新たな問題ややり残したことは残っているのであんまりせいせいしない。というか、どっぷり嵌った幸せな時間を無意識のうちに引き延ばそうとしているのかもしれないけど。
そもそも、年表作成のために参照していた井上一馬氏の「アメリカ映画の大教科書(下)」に、「ヒッチコックの『レベッカ』『断崖』『疑惑の影』『白い恐怖』はフィルム・ノワールの原型」と書いてある・・。「え゛!」となる私。なーんだ、だから40年代のヒッチコック作品が好きだったのか、なんでそんなことにも気付かなかったんだろう。そもそも、私がhttp://blog.so-net.ne.jp/miyukinatsu/archive/200512で挙げたヒッチコックベスト10ってほとんどフィルム・ノワールといえばそうなんだよね。でもあからさまにヒッチコックとフィルム・ノワールの関係が取り沙汰されてこなかったのは、ヒッチコック作品にはファム・ファタルがいないからだろうか。・・などと考え始め、大好きだったフィルム・ノワールの世界にまた戻りそうな予感・・。
そういえば、ラカン目当てに読み始めた難波江和英&内田樹氏の「現代思想のパフォーマンス」でも、二章のバルトで、「え゛!」となる。なんつーか、流し読みして全然問題なかったソシュールなんかと違って、こう、ウトーリ、しちゃうんだよね。去年の秋頃、どうして自分はこうも二項対立が嫌いなのだろうと考えていて(ほとんど生理的な嫌悪感を抱く)、きっと育ち方のせいだといったんは結論づけたのだったが、どうも若い頃バルトに夢を植え付けられたせいのような気がしてきた・・。
生きていく上で、二項対立を避けることはとても難しい。私はどうも避けようとする傾向があるみたいだが、そうするとどうしても「無能力者」、そこまでいかなくても「優柔不断」だと思われる。書くことが好きなのは、きっとその二つの世界ではなく、第三の、世界を構築することができるからだろう。それが現実の世界にとって有効なものなのかどうかは分からない。本人が書いている時だけ、或いはそれを他人が読んでいる時間だけ、有効なものかもしれない。しかし私たちはバルト以降、その夢を諦めることなどできるのだろうか・・。
というか、問題は、何故そんなことを今更思い出すかってことだよね。やっぱり頭を使う仕事してんのがいけないのかな(笑)、健忘症、或いは単純にキャパオーバーってやつ? しかし逆に言えば、いくら観ていなかった映画や新しい思想を詰め込んでも、三つ子の魂百までじゃないけど、個人の思考・嗜好・志向など、そうそう変わるものではないという証拠かもしれません。

現代思想のパフォーマンス

現代思想のパフォーマンス

  • 作者: 難波江 和英, 内田 樹
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2004/11/13
  • メディア: 新書


年始雑感(肉体と魂) [エッセイ]

出遅れてしまいしまたが、あけましておめでとうございます。blogのスキンをちょっと前から変えてみました。可愛いでしょ。何故出遅れてしまったかなどということを書くのも言い訳がましいのですが、12月中旬すぎからしこしこレポート書いてまして、結局クリスマスも年始年末もほぼ返上してしまいました(初詣にはさすがに行ったけど)。兪賢穆監督特集も行けなかったやい。昨日骨組みが完成して、あとは細かいところだけになり、やっとおめでとうと言う気分になりました。締切は半月ほど先なので、別にクリスマスも年始年末も返上する必要なんてなかったんだけど、結局どの位の時間で書けるのかが前もって全然見えないんです・・。
村上春樹は自分がいつ頃小説を書くか、大体のページ数と、彼の場合一日10枚書くと決めているから、完成時期もほぼ正確に分かる※1んだそう。うらやましい話。私は一日2行くらいしか書けない日もあるし、書けないと思って注釈でもつけようとパソコンをいじっていたらいつの間にか夜まで書き続けてしまったり、全く読めない。年季や才能やそもそも書いてるものが違うのだと言われたらそれまでなのだけど、もう少し根本的なものが違う気がします。今年は私も朝4時に起きてジョギングでもしようかしら。※2
ジョギングは冗談にしても(無理だし。水の中を歩くのは好きなんだけどなぁ、宇宙遊泳みたいで)、人と生活時間帯を変えるというのは結構ものを書くのに有効な気がします。もの書きの方がよくやるのは昼夜逆転でしょうから、村上春樹の方法は本当に新しい。「人が書くものというのは、生活スタイルのレベルでずいぶん変わってくるはずだと思っていたから。それは、僕が二十代を通じて肉体労働みたいなことをして生きていた、ということも大きいと思うんです」(※1)。朝4時ってどんななんでしょうね。今はまだ暗いですよね。私も何か新しいことをしてみたくなった新年なのでした。
それはそうと、今年もよろしくお願い致します。
※1「ナイン・インタビューズ 柴田元幸と9人の作家たち」より
※2「ナイン・インタビューズ」には毎日4時に起きることしか書いてないけど、確かジョギングもしてましたよね。いいですよねー、中年太りしない男性って。


江戸川花火大会(2005.08.6) [エッセイ]

Yさんに誘われて江戸川花火大会に。人混みが苦手なので花火大会をメインの目的に出かけるのはもう随分前のことになってしまう。慣れない私の代わりに手馴れたYさんとS氏のおかげで打ち上げ場所の真ん前に席が取れ、次々とあがる花火の迫力と臨場感を楽しめることに。ところがやはりそんな場面でも思い浮かぶのは映画のことで、「花火が印象的な映画って何だと思う?」とYさんとS氏に質問。さすがに映画の仕事をしているだけあって、『冬の猿』『ポンヌフの恋人』『ミッドナイト・クロス』『お引越し』などと渋い返事がかえってくるが、私が挙げたのは『泥棒成金』と『僕の伯父さんの休暇』だった。卒論でジャック・タチを取り上げたとき、『僕の伯父さんの休暇』のラスト、花火の乱舞する場面の喜びを、官能を言葉で表現しようとしてできないもどかしい思いをしたことがあった。カーニバル、感情の爆発、エクスタシー、私は映画の中であがる花火が大好きなのだ、きっと。
調子に乗って「でもあんまり映画の中で花火って使われないよね」「そう?」「同じような使われ方ばっかりしてない? もっとさ、危機的状況のときにあがる花火とかさ、反対の意味で使うと面白いと思うんだけど・・」と食い下がると「別に・・」とYさんに冷たく言われる・・。そういえば『インファナル・アフェアII 無限序曲』がそんな感じで使ってたよな、と今思い出す。きっと本物の花火も、旅をしていたり恋をしていたりするとまた違って見えるのだろう。


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