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今村昌平と黒木和雄特集 [邦画]

夏はあまりめぼしいロードショーがないというのもあるのだけれども、なんだか最近自分が映画が好きなのかどうなのか自信が持てなくなってきてしまったようなところがあって、それはどうも昔は甘党だったのに甘いものが食べれなくなってしまったという如き嗜好の変化が密かにあったような気がするのだけれども、「ああっ、この映画観たい!」というような凶暴な欲望をあまり持たなくなってしまったような気がしていた今日この頃。しかし「映画芸術」の最新号(416号)を読んでいたら、相次いで亡くなった両監督に関し、監督・批評家・俳優さんたち各々が「私の好きな一本」を選んでいて、既に観ている作品はその映画的細部が生々しく、未見の作品は架空の情動が荒々しく立ち上がり、久しぶりに凶暴な欲望が蘇ってきた。そもそも「映画芸術」の追悼特集は、編集作業を手伝っていた頃は「そんな追悼ばっかやってどーすんだ」と不遜なことを思っていたのだけれども、それはその時追悼していた監督(私が関わったのは蔵原惟繕監督と深作欣二監督)よりはこの2監督がピンと来るのか、それとも以前より編集方針・執筆陣が充実しているせいなのか、それとも単に貧乏にタダ働きが応えていただけだったのか、まぁ三つとものような気がするけれども。
特に黒木和雄監督は、映画について何かを考えたい、書きたいと思ったのが、黒木監督の『スリ』を観たのがきっかけだったような気がするため、もう一度スクリーンで見直してみたい気がする。とはいえ未見の作品がいくつかあるのでそっちが中心になるだろうけれども。そして両巨匠とも最近の作品にはあまり食指が動かなかったりするのだけれども。
「追悼二人の社会派巨匠 今村昇平と黒木和雄」は8/5(土)~8/25(金)、新文芸座で。
http://www.shin-bungeiza.com/


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真昼ノ星空/中川陽介 [邦画]

こちらも観てから一週間経ってしまいましたがこれは単にボーッとしていただけ。最初はワン・リーホン演じる殺し屋のリアリティのなさが気になりましたが、台詞に頼らずあくまで映像で語る語り口に体を委ねるうちに気にならなくなってきました。語るといってもこれみよがしに「何か」を語るわけではないところがまたいいんだよなぁ。ワン・リーホンと鈴木京香の夕食のシーンでは、誰にでもこんなに素敵な食事の時間がきっとあるのだなぁと心が温まりました。沖縄の風景も決してこれみよがしではなく心を撫ぜていきます。諸事情で夏休みが取れない人、取れても私のように雑事に追われどこにも行けない人にお勧め。二時間だけでもバカンス気分を味わってみたら如何でしょう。
しかし客の少なさが気になった。この監督は才能あると思うし、ワン・リーホンは華流で盛り上がってないのかな?


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ゆれる/西川美和 [邦画]

大体映画の感想は遅くても翌日には書いてしまうのだが、この映画は観てから一週間経ってしまった今、なんとか言葉を紡ごうとしている。この映画から受け取るものが多かったのか、私にとって大事な問題に抵触していたのか、多分両方だと思う。気に入った映画は大抵パンフを買うのに、まぁ邦画だから背景を知る必要がないというのもあるのだが、パンフも買わずふらふらと映画館を出てきてしまった。自分にとって大切な問題が他人の言葉によって表されることに本能的な抵抗感を感じたのだと思う。昨日たまたま読んでいた雑誌で西川監督のインタビューが載っていて、やっと少しまとめられそうな気がしてきたので、書いてみる。
西川監督は「奪われたことのない人間の脆さ」を描いてみたかった、というようなことを言っていた。「勝ち組」の弟と「負け組」の兄、と流行の言葉を使って登場人物の関係を説明していた。私は『ジョゼと虎と魚たち』という映画のことを思い出していた。要約すると足の悪い女の子を好きになった男の子が付き合ったあげく結局その子を捨ててしまうという話だ。私はいま一つラストが好きになれず(田辺聖子の原作では二人は別れには至らない)、しかし友人にこのように言われて非常に考えさせられたことがあった。「でもジョゼは別にラスト一人でも幸せそうだったよね。二人でいた時は一人じゃ何もできなかったけど一人で何でもやっていたし。自立してたっていうか。反対に恒夫は突然道端で立ち止まり泣き出したり、ジョゼのことを忘れられなさそうだった。障害者の方が強くて、健常者の方が弱い、そういうことがありうる、それをあの映画は言いたかったんじゃないのかなぁ」
私はそんな見方は全くしていなかったので非常に驚いたのだった。確かに恒夫は泣くが、一瞬泣いたからといってだからどうなのだという気がしたし、やはりジョゼから恋人が奪われてしまうことは許しがたいことのような気がしたのだ。人々の思惑とは関係なく恋愛を継続し続ける『オアシス』のコンジュのことが、あの映画の持つ寛容さ、豊かさへの賞賛が念頭にあった。
「健常者」対「障害者」、「勝ち組」対「負け組」、そんな図式はどちらにしてもどちらかといえば「健常者」が、「勝ち組」が作るものであって、その図式があることによって説話が貧しくなってしまうということは確かにあると思う。西川監督のこの映画にしても、『蛇イチゴ』以来の独特のあざとさは健在だし、オダギリジョー演じる弟が奪ってばかりの人生から改心するきっかけとなるのが昔撮った家族の映像だったというのも、ありがちすぎる。結局図式自体に何も新しいものはないのだ。しかし『ジョゼと虎と魚たち』より私がこの映画を評価するとしたら、『ジョゼ・・』ともしかしたら言いたいことは似ているのかもしれないが、結果的に言っていることは逆のような気がするからで、それは西川監督の力量によるものだと思うからだ。
私自身は奪うものは奪い、奪われるものは奪われ、それが一生変わらず人生が終わってしまう人も多数存在し、奪うものが一瞬泣いたり逡巡したりしたところで、だからどうなのだという風に思う。それが現実であり、でもだからこそ映画などというものが存在するのだろうなぁと思う。だからこそこの映画のラストのオダギリジョーと香川照之の表情はあんなにも人の心を打つのであり(館内でもすすり泣きが漏れていた)、多分優れた映画監督にしか作り出せない部類の夢であり、宝であると思う。


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エリ・エリ・レマ・サバクタニ/青山真治(2006.02.11) [邦画]

少し懸念はあったのだがやはりあまり私向きの映画ではなかった。映画に入ったのはゴダールがきっかけのくせに、最近のゴダールにさえほとんど興味が持てない私は「映像」と「音楽」が凄い、と言われる類(と片付けてしまうのも乱暴だが)の映画は苦手な部類に属する。そもそも音楽の良さに対して言葉を連ねるほど虚しいものはないのではないかと常々思っていたりするもするし。冒頭のガスマスクをつけた二人が歩いてくるショット、クライマックスの「爆音」のシーンなど、鳥肌が立ちっぱなしだったのは別にテアトル新宿の空調のせいでもないだろう。だがその鳥肌が気持ちよい鳥肌ではなく、なんとなく自然ではない印象を受けた。実像のない機械的な鳥肌、みたいな。
青山監督は吉田喜重監督との対談http://blog.so-net.ne.jp/miyukinatsu/2006-02-05で、吉田監督の『水で書かれた物語』『女のみづうみ』『情炎』『樹氷のよろめき』など岡田茉莉子主演の諸作品を観て衝撃を受け、「父権社会において女性が描かれる時の、「見られる対象としての女性」以外の女性の描かれ方はないのかと思っていた答えがここにあったと思った」というような主旨のことを述べているが、それらの衝撃が何故作品に反映されていないのだろうか。少女と老女と自殺してしまう女しか出てこないことが青山監督の「新しい女性の描き方」だということなのだろうか。テーマが違うと言われてしまえばそれまでですが、対談からわりと間があかず観たせいかそのへんを物足りなく感じたのが一つ。
あとやはり『ユリイカ』の時にも思ったのだがこの監督の弱点である脚本と俳優の弱さが出てしまっている映画だと思う。例えば先程述べた吉田監督の四作品を例に取ってみると、脚本家の意図を裏切る監督の演出、監督の意図を裏切る女優の肉体、それさえも裏切る映画そのものの意図(最後は少し文学的すぎる表現ですが)が反復の中にずれとして現れる重層的な快楽が存在するが、それらと『エリ・エリ・・』とは程遠い。それは自分で脚本を書き、友人や自分の気に入った女優などリスクの少ない俳優を使っている限り現れないものではないかと思う。監督自身がトークや批評などで垣間見せる映画的教養の確かさに感心するにつけ、そのことを分かっていないはずはないのにといつも不思議に思う。ま、私はわりと脚本と俳優で観る人なので(そういえばデプレシャンの『キングス&クイーン』もその二つが突出していた)、どう転んでもそんな見方しかできないですね。
映画とは直接関係ないですがそろそろ出回っているブログ等での反応もこの作品は面白いです。私もお邪魔させて頂いたことがあるhj3s-kzuさんのサイトでのやりとりhttp://d.hatena.ne.jp/hj3s-kzu/20060201も、ブログでのコメント合戦で良くあるような、お互いの土俵を一歩も出れないまま主張だけぶつけ合うような不毛なもの(罵詈雑言の応酬よりは余程マシだし、それはそれで面白かったりはするのですが私はやりたくありません、私はコミュニケーションに夢を持っているので(笑))になっていず面白かったです。抽象的な概念ではなく、具体的な作品が議題になっているせいなのと、あと青山監督の作品自体がそのような議論を起こしたくなる問題提議的な、かつ誠実な作りである証拠ではないでしょうか。真似して私の好きな青山監督作品を述べると、『Helpless』『チンピラ』『シェイディー・グローブ』など初期の作品が多いです。『月の砂漠』は小説の方が面白いと思いました。シネフィルの踏み絵?というわけでもないでしょうが『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』、みなさんも自分の目で耳で確かめてみてはいかがでしょうか。


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吉田喜重特集/ポレポレ東中野 [邦画]

一昨年の9月以来の、吉田喜重監督の劇場長編全作品上映。一年半も経たないうちに、また吉田監督の作品をスクリーンで楽しめるなんて、東京の映画状況も本当に捨てたものではない。前回http://www014.upp.so-net.ne.jp/miyukinatsu/essay19.htmlに書いた通り、吉田作品はある程度時間が経てば何度でも、エンドレスに楽しめる夢のような映画なのだが、さすがに一年ちょっとしか経っていないので今回は未見の作品を中心に観ることに。
2/1、『さらば夏の光』。いつもと同じ女、表面的にはとても美しく、中身はよくわからない女。スクリーンに映し出される建築物と一柳彗の音楽の美しさ。モン・サン・ミッシェルでのシーンになって、モン・サン・ミッシェルの中の独特の雰囲気を思い出す。映画は中にまでは入らない。あくまでも表層的に、その城を、アイコンを、なぞるだけ。なぞられているのは、他でもない自分だ。その感覚が気持ちよく麻痺してきたところで、映画は終わってしまう。劇場の外に出たら吉田監督と岡田茉莉子さんが座っていてこちらを見ている。そこだけ映画と同じ空気が漂っている。映画と地続きの空間に驚きながら、ゆっくりと地上への階段を上る。
2/4、『女のみづうみ』。女が戯れに撮らせたヌード写真が、女の意に反して、最初盗まれ、写真屋の親父に焼き増しされていくところが、とてもエロティックだ。複製されていく裸。或いは加害者との情愛。川端康成の原作「みづうみ」を読んでみたくなる。
『樹氷のよろめき』。岡田茉莉子はいつも通りなのだが、時折はさまれる単調でメロドラマティックな音楽が気になる。あまり明確な必然性がなく、女と恋人と女の昔の恋人の三人が雪山へと転がっていく話もかなりヘン。しかし青山真治監督と吉田監督のトークになり、ほぼ謎は解ける。吉田監督はこの映画に音楽をつけたくなかったそうで、しかしそれがかなわなかったため、同じような音楽をつけたとのこと。音楽がついていなかったら確かに、アントニオーニ的な白々とした空虚が、際立ったのではと思い少し残念。
トークは父権社会においての女性の描かれ方(常に「見られる対象」としての女性。青山監督はそれ以外の女性の描かれ方はないかと考えていた時に出会ったのが『水で書かれた物語』からの四作品だったそう)、映画において「動くこと」(吉田監督は『樹氷のよろめき』と『Helpless』の共通点を「動くこと」と語る)、映画で暴力を描くこと(吉田監督も『日本脱出』等で暴力を描いている)など多岐に渡り、とても興味深かった。監督同士のトークはわりと珍しいのではないかと思うのだがかなり刺激的だった(ま、青山監督だからかもしれないけど)。岡田茉莉子さんが出ている『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』も早く観に行かなくちゃ。
2/5、『情炎』。社長夫人の岡田茉莉子も、社長の妹が何人かの男とダンスするシーンも、肉体労働者風の男も、何故か既視感があって、今帰ってきて資料を漁ってみたらどうも1997年のパリのポンピドゥーセンターの日本映画特集の時に観たらしい(苦笑)。しかしそれがマイナスになることがないくらい強度の高い作品。それに、肉体労働者風の男はよく覚えているのに、主人公の現実の男である夫と、彫刻家の男についてはあまり記憶がないのも不思議だ。主人公の欲望や、それが顕れた昼中夢のようなシーンの方が明らかに印象が強いのだ。そのへんが吉田監督の映画が何度でも鑑賞に耐え得る秘密なのかもしれない。
トークは岡田茉莉子さんと斉藤綾子さん。岡田茉莉子さんの「自分で言うのも何なんですけど、こんなに綺麗に撮ってもらって、とても好きな作品です」という言葉に、演じた本人さえスクリーンの中ではまるで自分ではないように観るんだなぁ、という考えてみれば当たり前のことが分かって興味深い。この特集に通うような人はシネフィルが多いと思うので、撮影技法や映画論的な話は少なく物足りなさを覚えた人もいるかもしれないが、斉藤先生は一ファンのふりをしてかなり女優の肉声というか本音に迫れたのではないかと思う。この映画で描かれているレイプ願望に対して抵抗を感じるような岡田さんが主人公を演じたからこそ、複雑なキャラクターになったという意見には確かにそうかもしれないと思う。
もうちょっと通う予定。しかし、本当にエンドレスに続けばいいのに・・。


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カミュなんて知らない/柳町光男(2006.01.23) [邦画]

大学にレポート提出のためだけに行き、ご褒美のつもりで渋谷に寄って『カミュなんて知らない』。新生ユーロスペースは、ホテル街の中だったけど明るくていい感じ。映画は面白かったんだけど、ラストが少し尻つぼみな気が。いや、あのラストじゃなくて、監督とユカリのエピソードも、喜代子をめぐるエピソードも、中條教授のエピソードも、からみ合うわけでもなくそのままフェイド・アウトっていうのは・・。
しかしこれは宣伝文句の問題のような気もする。「戯曲化された(戯画化の間違いでは?)群像劇が展開する前半から、現実と虚構が一体化する驚愕のラストまで一気に疾走する」(ユーロスペースパンフより)とまで言わなきゃ、きっとラスト「おおっ!」って思ったのではないか。もっとすごいのを期待しちゃったんだよね。私も好きになった映画は大げさに書いてしまう傾向があるので自戒を込めていうけど、大仰な言葉が繊細なラストの持ち味を殺してしまうことってあるような気がする。驚愕のラストなら余計に、過大な期待や先入観なしで観て「おおっ!」と驚きたいよね。私が作者なら、小説でも映画でも過剰な売り文句で最初だけ売れるより、口コミでじわじわ売れた方がきっと嬉しい。
とは言っても多少大げさに書かないと人が入らない映画配給の現実というのはあるんでしょうね。映画は特にお金かかるし。でもそう思ったことは覚えておこう。
ユーロスペースではGW、ハネケの「Hidden」、マルコ・ベロッキオの「夜よ、こんにちは」をやるそうです。楽しみですね。


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成瀬巳喜男特集(2005.09.05~29) [邦画]

とは言ってもフィルムセンターではなく、BS2なんですけど。前回成瀬を集中して観たのは、確か大学出たての頃、早稲田のATGで隣の風呂に入っていないらしい男性の髪の臭さに耐えながら観た7本、メモによると『歌行燈』『『めし』『稲妻』『山の音』『流れる』『夜の流れ』『乱れる』。今回『めし』と『山の音』と『乱れる』を見直してみてほとんど覚えていず楽しめることを発見。吉田喜重のようにストーリーが追えない映画はほとんどないのだから、やっぱり10年経つと新作と同じように楽しめるんだなぁ。しかし『めし』と『乱れる』はラストシーン、『山の音』は原節子と山村聡が一緒に出かけるシーンなど部分的に感覚だけが残っているシーンが点在し、それもまた楽しい。
今回新たに観たのは『浮雲』と『乱れ雲』。『浮雲』の素晴らしさには絶句し、未見だったのを恥じる。まぁでも大学出たての時に観ても、良さは分からなかったかもしれないけど・・。あと『乱れる』『乱れ雲』と続けて観て、加山雄三の役柄の面白い共通点を発見。っていうか、有体に言って、(役柄的に)すごくいい人だよね。「嫁に来ないか~」って歌ってた人だよね、加山雄三って。すごく持っていた印象と違う役柄でした。やっぱり成瀬監督が天才なのか、それとも途中で転向したのか、誰か知っていたら教えてくれませんか。
ふとしたことで、成瀬巳喜男研究者の大久保清朗氏のブログhttp://d.hatena.ne.jp/SomeCameRunning/?of=63を発見。なかなか面白いので、成瀬監督に興味がある人は覗いてみたらどうでしょうか。
ついでに(ついでにって失礼だな)明治学院大学等で教鞭を取っていらっしゃる藤井仁子さんの主催しているサイトhttp://www16.ocn.ne.jp/~oblique/index.htmも発見。こちらにも成瀬監督に関するテキストがあります。
映画研究者のサイトは増加・充実の一方らしく、私も楽しませてもらっていますが、映画雑誌や出版物の繁栄と反比例していたら嫌ですね・・。編集者のみなさん、がんばってください。

浮雲

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  • 出版社/メーカー: 東宝
  • 発売日: 2005/07/22
  • メディア: DVD


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夏の邦画三昧(2005.08.16) [邦画]

実は最近すっかり邦画を観なくなってしまっていたのだが、『運命じゃない人』のあまりの面白さに、もしかしたら実は結構面白くなっていて私が見逃しているだけなのかも・・と思いいくつか邦画を観てみることにする(そうでなくてもなんとなく夏は邦画を観たくなりませんか?)まずは『亡国のイージス』、阪本順治監督は好きな監督なのだが、この映画はあまり阪本監督らしさは現れていないような気がする。これだったら私は『KT』の方が好き。梅本洋一氏のように『トカレフ』を持ち出すのは少し酷なのでは・・と思いつつやはり過大な期待をしてしまう監督の一人であることは確かなのだろう。話題の勝地涼くんをはじめ本当に俳優が贅沢な使われ方をしていて、全然関係ないけど『オーシャンズ11』を思い出した。
見逃していた『赤目四十八瀧心中未遂』・・未見だったのをただ恥じる。寺島しのぶはこういう役が本当に合う。子持ちの主婦などを演じさせるテレビのプロデューサーは単純にセンスがないのでは?
『レイクサイド・マーダーケース』『犬猫』・・評判いいらしいけど、私はだめでした。日本って・・日本人って、馴れ合いなわけ? 閉じられた共同体のなかでの、傷の舐め合いなわけ? とどよーんと落ち込む。しかし映画がつまらないというよりも、そうやって閉じられた共同体のなかで傷を舐め合うしかない状況(『レイクサイド・・』の場合はお受験、『犬猫』の場合はフリーターの女の子たちの男の取り合い)、自分に全く関係ないとは言えないその状況にこそ落ち込むのであろう。
と考えると『運命じゃない人』はそこから抜け出よう、突き抜けようとする意思が魅力的なのであった。勿論監督がアメリカで脚本の勉強をした人だということは大きいだろうが、その意思はキャラクター設定にも、ドラマの行き方そのものにも現れていて、なかなか邦画も捨てたものではないのではないかと可能性を感じさせ、希望を持たせる。
最後に『パッチギ!』・・韓流ブームに冷水を浴びせるような一本。日本が朝鮮人たちに何をしたかを知らない今の日本人の若者の無知さを詰った在日朝鮮人の叔父の言葉を聞くだけでも観るに値するだろう。偉い学者が書いた歴史本よりも、記者の主観が入った新聞の体験談よりも、こういうシーンが一番インパクトがあり、理解度も高いと思う。こういうシーンを作り出せるところが映画のいいところだ。ただ主人公が文部省推薦的にいい人すぎた(髪型のせいだろうか?)のがちょっとどうかと思う。チョイ役で出てくるオダギリジョーの進化したセクシーさに驚き、オダジョーが主役の『パッチギ!』を観たい気がするがそれでは別の映画になってしまうか・・。
さて、結局邦画は面白くなってるんでしょうか、どうでしょう。とりあえず『運命じゃない人』は必見です。

パッチギ ! スタンダード・エディション

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  • 出版社/メーカー: ハピネット・ピクチャーズ
  • 発売日: 2005/07/29
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